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【幣立神宮について】
社伝によれば、神武天皇の孫である健磐龍命が、阿蘇に下向した際この地で休憩し、眺めがとても良い場所であると、幣帛を立て天神地祇を祀ったという。
その後、延喜年間(901年 – 923年)、阿蘇大宮司友成が神殿を造営し伊勢両宮を祀り幣立社と号した。天養元年(1144年)には、阿蘇大宮司友孝が阿蘇十二神を合祀し大野郷の総鎮守とした。
現在の社殿は、享保14年(1729年)、細川宣紀により改修されたもの。明治6年(1873年)、郷社に列した。なお、天孫降臨の伝承を持つ高千穂にも近く、他にも神話、伝承などが伝わる。
ウィキペディアより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/幣立神社
幣立神宮は中央構造線の上にあり、この上には古くから多くの聖地や霊場が存在しているようです。
→ 中央構造線とは
関東から九州まで延長1000km、最大級の断層系
中央構造線を境に北側を西南日本内帯、南側を西南日本外帯と呼んで区別
写真には撮りませんでしたが、
熊本地震の影響で鳥居が壊れ、灯篭が倒れていました。
しかし、3回目に訪れた幣立神宮も、
何とも言えぬ空気感はそのままで。
明治三十七年二月、日露戦争開戦に当たり「幣立宮に祈願せよ」との神教えが、宮中に降ったことから、畏きあたりより、戦勝祈願を仰せだされたので、感激した氏子がこの真木を植えて記念樹としたのである。
なお、幣立宮と同列に、全国一の宮の七大社にも祈願するよう仰せだされている。
ゼロ磁場、東水神宮のお水を右筒と左筒、両方飲み、
拝殿で祈祷していただきました。
貴重な経験をさせていただき、感謝です。